よくいなくなるブログ。
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これだけは、と自分の中で決めていることがある。
その中でも、今ここで書きたいのは、
『もし子供ができたら、子供の目の前や、子供に伝わってしまうような形で「子供が苦手、嫌い(だった)」ということは絶対に口にしない』
ということだ。
理由は簡単だ。母は子供が苦手(だった)らしいからだ。それはもちろん、母が出産を経験する前の話だったかもしれないし、それを踏まえた上での父と母の会話の中での軽い冗談だったのかもしれない。
でも、それを聞いてから幼心にだったり思春期に感じたあの突き放されたような気持ちは、それが理由だったのかと。どこかうまく接することができなかったからだというんだろうか。
私が“子供”だから。
そう思った時、鬱々としてしまったんだ。
(じゃあ、私のことも嫌いか...?)
そんなことは、ない。きっと。
だけど、自分の中になぜか残っている子供の頃の自分が、一瞬でも受けてしまったショックは、なかなか消えないみたいで...
今書いていても涙が、出てしまう。
ならなぜ産んだんだ、とまでは思いはしない。それどころか、今この歳になって思い知らされるが、母と父はかなり計画性、責任を持って私を育ててくれたように思う。ここまで、今のように育ててもらって、今も一緒に暮らしてくれていることに感謝しかない。
ただ、一つ言えるのは自分が“大人”になったからこそより話し合ったりそれなりの距離感で話せるようになったから、スムーズに暮らしていけているような気はする。その事実は嬉しく救いだが、その反対の証明のようにもなってしまうのだ。
ただ、近ごろの母が、街中で見かけたり、TVに映る幼子たちを見て、かわいいねえ〜と言うのは、どういう変化なのだろう?
私もいま“子供”に戻ったら、愛してもらえるのだろうか?
もはや数年前になってしまうかもしれないが、宇多田ヒカルのお母さんーーーー藤圭子が古いTV映像で、「子供は嫌いでしたけど生むと好きになるものですね」(詳細は異なるかもしれない悪しからず)って発言しているのを見たことがある。
宇多田ヒカルは母との関係に色々複雑なところがあって...それを知っているだけに、
私は絶対にこういう発言はしないぞ、ってこの映像を見てからは自分の中でさらに言語化されて、一つの芯になった。
正直、自分も子供は慣れていないほうだ。でも、もし出会えるとしたら、自分の子供には、私の感じた悲しみを、絶対に感じて欲しくない。それだけなんだ。
自分の中の幼い頃の自分を、愛して、癒して、満たしてあげるために、今、私は生きている。そうすることが、いちばん今の私を救ってくれると感じるから。
もちろん、今の私そのものも、大事にできるように、生きていきたい。
その中でも、今ここで書きたいのは、
『もし子供ができたら、子供の目の前や、子供に伝わってしまうような形で「子供が苦手、嫌い(だった)」ということは絶対に口にしない』
ということだ。
理由は簡単だ。母は子供が苦手(だった)らしいからだ。それはもちろん、母が出産を経験する前の話だったかもしれないし、それを踏まえた上での父と母の会話の中での軽い冗談だったのかもしれない。
でも、それを聞いてから幼心にだったり思春期に感じたあの突き放されたような気持ちは、それが理由だったのかと。どこかうまく接することができなかったからだというんだろうか。
私が“子供”だから。
そう思った時、鬱々としてしまったんだ。
(じゃあ、私のことも嫌いか...?)
そんなことは、ない。きっと。
だけど、自分の中になぜか残っている子供の頃の自分が、一瞬でも受けてしまったショックは、なかなか消えないみたいで...
今書いていても涙が、出てしまう。
ならなぜ産んだんだ、とまでは思いはしない。それどころか、今この歳になって思い知らされるが、母と父はかなり計画性、責任を持って私を育ててくれたように思う。ここまで、今のように育ててもらって、今も一緒に暮らしてくれていることに感謝しかない。
ただ、一つ言えるのは自分が“大人”になったからこそより話し合ったりそれなりの距離感で話せるようになったから、スムーズに暮らしていけているような気はする。その事実は嬉しく救いだが、その反対の証明のようにもなってしまうのだ。
ただ、近ごろの母が、街中で見かけたり、TVに映る幼子たちを見て、かわいいねえ〜と言うのは、どういう変化なのだろう?
私もいま“子供”に戻ったら、愛してもらえるのだろうか?
もはや数年前になってしまうかもしれないが、宇多田ヒカルのお母さんーーーー藤圭子が古いTV映像で、「子供は嫌いでしたけど生むと好きになるものですね」(詳細は異なるかもしれない悪しからず)って発言しているのを見たことがある。
宇多田ヒカルは母との関係に色々複雑なところがあって...それを知っているだけに、
私は絶対にこういう発言はしないぞ、ってこの映像を見てからは自分の中でさらに言語化されて、一つの芯になった。
正直、自分も子供は慣れていないほうだ。でも、もし出会えるとしたら、自分の子供には、私の感じた悲しみを、絶対に感じて欲しくない。それだけなんだ。
自分の中の幼い頃の自分を、愛して、癒して、満たしてあげるために、今、私は生きている。そうすることが、いちばん今の私を救ってくれると感じるから。
もちろん、今の私そのものも、大事にできるように、生きていきたい。
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